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東京地方裁判所 昭和50年(ワ)6098号 判決

原告

木暮喜郎

被告

日産プリンス群馬販売株式会社

主文

一  被告は原告に対し、金七一六万八二四一円及び内金六六六万八二四一円に対する昭和四五年二月七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は五分し、その二を被告の、その余を原告の各負担とする。

四  この判決は原告勝訴の部分にかぎり、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し金一九〇三万五一四三円及び内金一七三〇万四六七六円に対する昭和四五年二月七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

3  担保を条件とする仮執行免脱宣言

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  事故の発生

原告は、昭和四五年二月六日午後三時五分ころ、群馬県高崎市町屋町八三五番地先路上において、道路左側端で自転車の荷台を直していたところ、訴外小川武志運転の普通乗用自動車(群一六三五号、以下被告車という。)に衝突され、右鎖骨々折、右肩胛骨々折、左第三、第四、第五肋骨々折、腰部打撲、頸部捻挫の傷害を負つた。

2  責任

被告は、本件事故当時被告車を所有し、運行の用に供していたものであるから、自動車損害賠償保障法三条により原告の被つた後記損害を賠償すべき義務がある。

3  損害

(一) 治療費

原告は、本件事故による前記傷害の治療のため、事故当日から昭和四五年四月二二日までの七六日間訴外医療法人博仁会第一病院(以下博仁会病院という。)に入院し、同月二三日から昭和四六年三月二九日までの三四二日間(内実通院日数一四七日)同病院に通院し、同日から昭和五〇年五月二四日までの一五一八日間訴外社団法人群馬県医師会温泉研究所附属沢渡病院(以下沢渡病院という。)に入院し、右同日左眼視力〇、右眼視力〇・三の眼球障害及び右肩左足関節の運動障害等の後遺症が残存したまま同病院を退院し、現在自宅療養中であるが、昭和四五年二月六日から昭和五〇年四月三〇日までの右入、通院期間中、治療費として合計金一一一万八八四一円を支出した。

(二) 付添看護費

原告は、本件事故による前記傷害の治療のため昭和四五年二月六日から同年三月三一日までの五四日間付添看護が必要で、その間知人に付添看護を受けたが、右看護料は一日当り金二〇〇〇円の割合による合計金一〇万八〇〇〇円が相当である。

(三) 入院雑費

原告は、前記のように一五八四日間にわたり入院治療を受け、その間雑費として一日当り金五〇〇円の割合により合計金七九万二〇〇〇円を支出した。

(四) 休業損害

原告は、本件事故による前記傷害のため、昭和四五年二月六日から昭和五〇年五月二四日までの間就労不能の状態にあつたもので、本件事故に遭遇しなければ、右期間中各年の賃金センサス全産業男子労働者の平均給与額と同額(昭和四九、五〇年は同四八年賃金センサスの右金額の七パーセント増)の収入を得られた筈であり、右期間中の休業損害は金六八二万八二一五円となる。

(五) 後遺症による逸失利益

原告は、本件事故に遭遇した結果、前記のような後遺症が残存し、同症状は治癒不能で、自動車損害賠償保障法施行令別表第七級に該当するものであり、その労働能力は五六パーセント喪失したところ、原告は明治四四年三月六日生れであるから、昭和五〇年五月二四日以降六・九年は稼働可能であるから、前記昭和四八年賃金センサス全産業男子労働者平均給与額に七パーセント加算した額を基礎に、年五分の割合による中間利息をホフマン方式により控除して、右同日現在の後遺症による逸失利益の現価を求めると金四七三万六四〇一円となる。

(六) 慰藉料

原告は、本件事故により前記のような傷害を負い、長期の入、通院治療を余儀なくされたうえ、後遺症が残存し、社会復帰の途も閉ざされたことにより多大な精神的苦痛を受けたが、右苦痛を慰藉するには金八五六万七〇〇〇円が相当である。

(七) 損害の填補

原告は、自動車損害賠償責任保険から金五〇万円、被告から治療費として金一一一万八八四一円、休業補償の内金として金三二二万六九四〇円、合計金四八四万五七八一円の支払を受けた。

(八) 弁護士費用

原告は、本件訴訟の提起、追行を原告代理人らに委任し、報酬として請求金額の一割相当の金一七三万四六七円を支払う旨約した。

4  結論

よつて、原告は被告に対し、右3の(一)ないし(六)の損害合計額から(七)の填補額を控除し、その残額に(八)の金額を加えた金一九〇三万五一四三円及び内弁護士費用を除く金一七三〇万四六七六円に対する本件事故発生の翌日である昭和四五年二月七日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求の原因に対する認否

1  請求の原因1の事実中、原告の傷害の部位、程度は知らないが、その余の事実は認める。

2  同2は認める。

3  同3のうち、(一)ないし(四)の事実は知らない。(五)、(六)、(八)は争い、(七)の事実は認める。原告が後遺症として主張する視力低下は本件事故とは因果関係がなく、本件事故による原告の傷害はいわゆるむち打ち症であり、その症状は事故後少なくとも二年後の昭和四七年二月には症状が固定していたと推定される。また原告は賃金センサスの全産業男子労働者の平均給与額を基礎に逸失利益損害を算出しているが、原告は本件事故当時一年のうち数か月間だけ農機具の行商を営んでいたのであるから、その年収は原告主張の額より低額であり、被告が毎月金五万一〇〇〇円を生活費として支払つてきたことも原告の了承していることであり、かつ、原告の月収を下回るものではない。さらに、原告は事故の翌日から遅延損害金の支払を求めているが、被告は既に合計金四三四万五七八一円の支払を了しているうえ、和解交渉の場でもさらに金七〇〇万円を支払う旨の案を提示しており、原告の前記症状から考えると、被告の誠実な賠償行為は果されており、被告において遅延損害金を負担すべき合理的根拠はない。

第三証拠〔略〕

理由

一  原告がその主張の日時場所において、道路左側端で自転車の荷台を直していた際、訴外小川の運転する被告車に衝突され、傷害を負つた(ただし傷害の部位程度は除く)こと、ならびに被告が本件事故当時被告車を所有して運行の用に供していたものとして自動車損害賠償保障法三条により原告の被つた後記損害を賠償すべき義務があることは被告の認めるところである。

二  そこで原告の損害について判断する。

1  治療費

成立に争いのない甲第二ないし第六七号証、乙第三号証の一、二、証人兼鑑定人亀田実の供述、原告本人尋問の結果を総合すると、原告は本件事故により右鎖骨々折、右肩胛骨々折、左第三、第四、第五肋骨々折、腰部打撲、頸部捻挫の傷害を負い、博仁会病院に昭和四五年二月六日から同年四月二二日まで七六日間入院して治療を受けた外、同年四月二三日から後記沢渡病院へ入院するまでの間一四七日間同病院へ通院し、牽引、マツサージ、投薬等の治療を受けたこと、その後、原告は右上肢の挙上が出来ず、耳鳴り、右示指、中指の痺れ、左足関節外顆、項部の痛みがあり、右肩関節拘縮、左第四、第五、第六肋骨々折、左足関節拘縮、頸腕症候群と診断され、昭和四六年三月二九日から昭和五〇年五月二四日まで一五一八日間沢渡病院に入院して投薬、湿布、牽引等の治療を受けたこと、そして右入、通院による治療費として原告は少なくともその主張する合計金一一一万八八四一円を支払つたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

2  付添看護費

原告が本件事故により博仁会病院に入院して治療を受けたこと前記のとおりであるが、前掲甲第二号証ならびに弁論の全趣旨によると、原告は右入院中の昭和四五年二月六日から同年三月三一日までの五四日間安静加療ならびに付添看護を要し、その間原告の知人が付添看護にあたつたことが認められ、右付添看護費用として一日当り金一五〇〇円の割合による合計金八万一〇〇〇円の損害を被つたと推認するのが相当である。

3  入院雑費

原告が本件事故による傷害の治療のため博仁会病院ならびに沢渡病院へ入院したことは前記のとおりであるところ、その間入院雑費として昭和四七年末までは一日当り金二〇〇円、昭和四八年からは一日当り金三〇〇円、合計金四〇万六二〇〇円を支出したと推認するのが相当である。

4  休業損害

本件事故による原告の受傷、傷害の部位、程度ならびに入通院状況は前記のとおりであり、右事実を総合すると、原告は本件事故後沢渡病院を退院した昭和五〇年五月二四日までは休業を余儀なくされたことは容易に推認しうるところであり、原告本人尋問の結果によると、原告は明治四四年三月六日生れで、本件事故当時五八歳であつたこと、原告は事故前二〇年位前から訴外山崎製作所の委託を受け、同製作所の製造した草かき、鍬等の小農具を自転車の荷台に積んで近在の農家等を個別に訪問して販売していたこと、販売価格は買手と原告の交渉で決まるが、販売代金からその原価相当額を同製作所に納金し、その残額が原告の収入となつていたこと、しかし、右販売額は農繁期、農閑期によつて大きく変動していたこと、本件事故当時原告の家庭は妻と三女の三人暮しで、生活費として毎月約金八万円を要していたことが認められ、以上認定の原告の年齢、稼働形態、家族構成等からすると、本件事故前の原告の右農機具販売による収入は、当裁判所に顕著な昭和四五ないし昭和五〇年の各賃金センサス第一巻、第一表、男子、企業規模計、学歴計の原告の年齢に対応する欄(但し、原告の年齢は当該年の誕生日以降の年齢を当該年の年齢とする。)の金額の八割程度であると推認するのが相当であり、右額を基礎にライプニツツ方式により各年ごとに年五分の割合による中間利息を控除して、本件事故後昭和五〇年五月二四日までの原告の休業損害の本件事故当日現在の価格を求めると、金四六四万六五二七円となることは計数上明らかである。

原告は、同本人尋問中で昭和四四年の原告の収入は金九一万五〇〇〇円である旨供述しているが、右供述は基礎となる資料は全くなく、当時のことを思い出してみるとその程度の収入があつたと思うというにとどまり、右供述に沿う甲第六八、第六九号証も原告の記憶する昭和四四年の販売数を基礎にその収入を算出して昭和五一年に作成されたものであつて、その信用性は低いうえ、乙第五号証と対比すると右供述ならびに甲第六八、第六九号証はたやすく信用できない。

5  後遺症による逸失利益

前掲甲第五、第六号証、乙第三号証の一、二、証人兼鑑定人亀田実の供述、原告本人尋問の結果を総合すると、原告が前記沢渡病院を退院した時点では、肩及び足の各関節の運動機能はほぼ正常であつたが項部が朝や天候の変り目に痛む外、眼球が痛み、後頭部で蝉の鳴くような音がし、右肩に筋膜炎と思われる小指頭大の結節があつて、それが痛み、また左下腿外側及び左足に知覚鈍麻があり、視力は右が〇・三、左が〇であつたこと、原告は右沢渡病院退院後も後頭部が痛むため昭和五二年春ころまでは週に一、二回近所の医師の診療を受け、その後も二か月に一度位の割合で診療を受けていること、原告の右症状は多分に心因的な面もあること、原告は昭和五二年春ころから近所の訴外遠藤建設で作業場の後片付けならびにお茶汲み等の雑務をして稼働し、当初は一か月約金二万円、最近では一か月約金五万円の収入を得ていることが認められ、以上の事実を総合すると、原告の本件後遺症による労働能力喪失の割合は、昭和五〇年五月二五日以降稼働可能と考えられる七〇歳までの間平均二割と認めるのが相当である。

そこで、前記のとおり当裁判所に顕著な昭和五〇、同五一年は各年賃金センサス、昭和五二年以降は同年賃金センサスの前記欄記載の金額の八割を基礎に、右喪失割合による金額を算出し、同額からライプニツツ方式により年五分の割合による中間利息を各年ごとに控除し、原告の後遺症による逸失利益の本件事故当日現在の価額を求めると、金一二六万一四五四円となることは計数上明らかである。

なお、被告は原告の視力低下と本件事故は因果関係がない旨主張するが、前掲乙第三号証の一、二、証人兼鑑定人亀田実の供述、原告本人尋問の結果を総合すると、原告は本件事故前は眼鏡を使用せずに自転車に乗るなど視力には問題がなかつたこと、原告は沢渡病院に入院後目が痛み、昭和四六年五月二二日の検査では右目の瞳孔の対光反射は迅速であるが、左目の瞳孔は反射せず、左目の視力はほとんどなかつたこと、原告は本件事故の際頭部を打つているうえ、頸部に傷害を受けており、右受傷により視力が低下することは十分考えられるところであることが認められ、特段の反証のない本件においては原告の視力低下は本件事故による後遺症であるといわざるをえない。

6  慰藉料

前記認定の原告の受傷内容、治療経過、後遺症の内容及び程度、その他本件に顕われた諸般の事情を考えると、本件事故によつて原告が受けた精神的苦痛に対する慰藉料は金四〇〇万円が相当である。

7  損害の填補

原告が自動車損害賠償責任保険ならびに被告より合計金四八四万五七八一円の支払を受けたことは当事者間に争いがなく、その損害残額は金六六六万八二四一円となる。

8  弁護士費用

弁論の全趣旨によれば、原告は本件訴訟の提起、追行を原告代理人らに委任し、相当額の報酬の支払を約していることが認められるが、本件事案の性質、審理の経過、認容額等に鑑みると被告に対して賠償を求め得る弁護士費用は金五〇万円が相当である。

三  以上の次第で、原告の本訴請求は金七一六万八二四一円及び内弁護士費用を除く金六六六万八二四一円に対する本件事故発生の日の翌日である昭和四五年二月七日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で正当であるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九二条、八九条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用し、仮執行免脱の宣言はこれを付するのが相当でないからこれを付さないこととし、主文のとおり判決する。

(裁判官 小川昭二郎 片桐春一 金子順一)

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